国境をまたぐ競争法と知的財産法をつなぐ需要の代替性
〜効果理論、属地主義、複数当事者、非実施品、類似性、著30条の4〜
2025年12月5日、23日
2026年1月4日、5日更新
鈴木健治
この記事は「知財系 Advent Calendar 2025」参加記事です。
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otsubo様、みなさま、貴重な機会をいただきありがとうございます。
1. 記載対象と方針
国境をまたぐ特許発明の実施行為について、特許法改正も視野に検討されていたが、2025年11月の時点では、法改正ではなく、特許庁による「考え方」が示される方向となった。本稿は、この立法論や考え方に関連する意見を整理した。意見では、競争法の国際管轄権をめぐる考え方である「効果理論」に注目し、田村善之教授によるコメントシステム最判の評釈や北海道大学サマーセミナー2025の講義から学ぶ。
白石忠志教授の仕事の結果には普遍性があり、知的財産法との通底を模索する際の見通しが開け、それだけではない私的な発見があった。各国当局者が「本能的に避ける」規範が競争法で機能している意味を、柄谷行人を参照しながら思い切って言語化した。法学としては寄り道であるが、諸国家の関係性の全体、つまり、戦争と平和や資本主義のなかで、競争当局や知的財産法のポジションを考察した。
本稿の初版公開後、意見の結論部分の原則(発明の効果)と例外(経済的影響)を入れ替えた方が複数の分野に応用しやすいと思いつき、2026年1月4日に更新した。この更新に際して、意見と理由という形の追記をした。
次いで、複数当事者の実施の論点を確認しつつ、上記の属地主義の論点と複数当事者の実施の論点の両方に対応しえるクレームドラフティングを模索する。これは、田村善之教授や、北大サマーセミナーの受講を意識している人たちや、弁理士や、特許実務家へのメッセージでもある。
これらの過程で、効果理論から田村教授のいう国内での「経済的影響」まで通底する「需要の代替性」が、転じて、非実施品の利益による損害賠償請求、著作権法の類似性の外延、30条の4の解釈を決定付けていることを簡単に確認する。この需要の代替性は、上記意見を補強する役割も果たしている。
全体を通じて、知的財産権による利益やその損害は市場を介して出現すること、だからこそ、競争法の効果理論や田村善之教授の説示する需要の代替性なり市場機会が法制度の骨格に近い部分で重要であることを伝えたい。
この記事は、同時に扱う対象が広いこともあり、判決、論文などの国内外の一次情報まで精査できず、教科書や2025年に学んだ講義を主たる情報源としている。
2. 国境をまたぐ行為
競争法としての知的財産法
知的財産法は、独占権を付与することで、製品またはサービスの市場を介した利益の獲得の機会を通じて、法目的を達成しようとする。従って、知的財産法は、健全で効率的な競争市場の存在を前提としている。知的財産権によらず独占ができる市場では、知的財産権の獲得によるインセンティブが機能しない。カルテルによって販売価格を維持できるのであれば、新たな技術的効果をもたらす新技術の開発で販売価格を高めていこうとする研究開発からの特許権の取得や、顧客に品質を約束しようとするブランディングなり商標権の活用は、コストがかかりすぎ敬遠されてしまうだろう。競争法と知的財産法がなければ、新たな便益が生まれず、生産効率は高まらず、サステナビリティに配慮した新製品も生まれず、品質は約束されず、価値創造のストーリーもない、劣悪な独占企業による薄暗い商品役務に満たされた平均値の世界となってしまう。
つまり、競争法(日本では中心は独占禁止法)による規律が競争環境を維持してこそ、知的財産法による独占権付与という手法で、産業の発達、需要者の保護、文化の発展などの法目的の達成を目指すことができる。
競争法の効果理論
国際的な法の管轄権、法の及ぶ地理的範囲、属地主義といった議論がある。競争法を土台として知的財産法が機能するという本稿の立場では、まず、競争法ではどのように規律されているかを確認する。
2025年、生成AIへのあるべき規制を検討する際に私が読み込んだ書籍の一つが、デビッド・ガーバー著、白石忠志訳『競争法ガイド (opens in a new tab)』(東京大学出版会、2021[原著2020])である。『法律文章読本 (opens in a new tab)』の著者である訳者いわく「本書は、抜群に面白い」(同203頁))。
少し違う観点で慎重に私から紹介してみるなら、競争法は面白く、それが判る本書は、抜群に面白い。
ガーバー[2021]は、「管轄権をめぐる考え方」で、領土・領海・領空、そして国籍など密接関連性を持つ者に、自国法を適用できるという伝統的な管轄権を説明しつつ、第二次世界大戦後、次第に受け入れられてきた「効果理論」の考え方を次のように説明する。
効果理論においては、各法域は、領域の外で行われた行為であっても、当該行為が、自国の領域内に、重要で、少なくとも予見可能な弊害(効果)をもたらすのであれば、当該行為に対して自国法を適用できる、とされる。効果理論は、管轄権の重複(「管轄権競合」)が起こる可能性を大きく増加させ、不確実性やコストや摩擦をもたらすこととなった。例えば、OPECの石油カルテルのような国際カルテルは、多くの国に弊害をもたらす。効果理論は、弊害が生じたそれぞれの法域に、国際カルテルのような行為に対して自国の競争法を適用する権限を与えるのである。
- ガーバー[2021]第161頁
国際カルテルのような行為に対して、自国の領域内に弊害(効果)をもたらすのであれば、自国法を適用できる、という考え方が競争法の効果理論である。
白石忠志『独占禁止法 (opens in a new tab)』(第4版、有斐閣、2023)の索引には、ちゃんと「効果理論」がある。白石[2023]は、ブラウン管最高裁判決(平成29年12月12日)を次のように引用する。
米国に端を発して世界的に受け入れられている効果理論(略)それ自体が批判的に分析されたことは(無いなかで)
現れたのがブラウン管最高裁判決である。次のように述べた。「[独禁法]が、公正かつ自由な競争を促進することなどにより、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的としていること(1条)等に鑑みると、国外で合意されたカルテルであっても、それが我が国の自由競争経済秩序を侵害する場合には、同法の排除措置命令及び課徴金納付命令に関する規定の提供を認めていると解するのが相当である。」。
これは、効果理論という文言こそ用いていないものの、実質としては、効果理論を採用したに等しい。最高裁がこれを確認したということになる。
- 白石[2023]第206頁
白石[2023]は、その注159(第206頁)で、国外での行為であることに過度に注目すべきでなく、自国領域内で効果があれば自国独禁法違反になることを強調しており、「それが長年にわたり国際的常識として定着していた」と説示する。
白石[2023]の説示で興味深いのは、効果理論でいう「我が国市場」である。
「我が国市場」とは、需要者が自国に所在するような市場である(同207頁)と述べ、自動車部品の国際カルテル事件などを参照しつつ、次のように説示する。
自国所在需要者説によるのでなければ、違反者の全世界向け売上額に対し、多数の国が多重的に超過金・罰金を課すことになるからである。そのような結論は、各国の競争法・競争当局が本能的に避けて、基本的には自国所在需要者に向けられた部分の売上額のみに注目して、各国が課徴金・罰金を課した。
- 白石[2023]第208頁
この効果理論による管轄権、つまり知的財産法による属地主義の緩和なり国境をまたぐ法定実施行為(特許法2条3項、商標法2条3項、著作権法21条から28条、不正競争防止法2条1項各号)の解釈と同様の構図の論点について、競争法は、需要者が自国に所在する我が国市場で効果(競争法では弊害)が発生している範囲に、自国法の適用を認める。
そして、効果理論の弊害は、競争当局が「本能的に避ける」という。効果理論は、「本能的に避ける」ソフトローとのセットで、グローバルに安定性なり実効性を持つことが示唆されたと、私は考える。
田村善之教授の属地主義に関する提言(特に経済的影響の要件)は、この「効果理論」ではなかろうか。特許法で効果は発明の効果であり、競争法の効果理論の効果ではなく、田村教授が国内での「経済的影響」と指摘する内容が、競争法の「効果理論」ではなかろうかという仮説である。
例えば、コメントシステム最判(令和7年3月3日)の判例評釈で、田村善之教授は次のように述べている。
結論として、被疑侵害行為におおいて特許発明の技術的効果が日本国内で発現している場合には、原則として、日本の特許法が適用される。(略)また、技術的効果が日本国内で発現しているわけではない場合にも、被疑侵害行為が日本国内の市場を主たる市場としている場合には、やはり例外的に日本の特許法が適用されると考える。そして、これらの検討の結果、場合によって複数の国の特許法が適用される場合も有り得ることになる。
- 田村善之「国外のサーバから送信され国内で受信される行為に対して日本の特許権の侵害を肯定した最高裁の二つの判決について~最高裁第二小法廷令和7年3月3日判決※1~」(判例コラム、トムソンロイター、2025年8月12日掲載、《WLJ 判例コラム》第354号、文献番号2025WLJCC019、第24頁[PDF]、6.考察) https://www.thomsonreuters.co.jp/ja/westlaw-japan/column-law/2025/250812/ (opens in a new tab)
「日本国内の市場を主たる市場としている」という要件について、本稿では「経済的影響」ともいう。
この最判は、次のように判示している。(一文ごとに改行して引用した)
(略)これらのことからすると、本件配信による本件システムの構築は、我が国で本件各サービスを提供する際の情報処理の過程としてされ、我が国所在の端末を含む本件システムを構成した上で、我が国所在の端末で本件各発明の効果を当然に奏させるようにするものであり、当該効果が奏されることとの関係において、前記サーバの所在地が我が国の領域外にあることに特段の意味はないといえる。
そして、被上告人が本件特許権を有することとの関係で、上記の態様によるものである本件配信やその結果として構築される本件システムが、被上告人に経済的な影響を及ぼさないというべき事情もうかがわれない。
そうすると、上告人は、本件配信及びその結果としての本件システムの構築によって、実質的に我が国の領域内において、本件システムを生産していると評価するのが相当である。
- コメントシステム第二事件上告審、令和7年3月3日
この最判に関する田村先生の判例評釈を、2025年の後半、印刷してメモもしながら読み込んでいた。重要判決に関する重要文献であり、知財高裁大合議にどのような期待をしていくべきなのかという観点での示唆も深い。ソフトウエア関連発明のクレームドラフティングの未来像を考える際にも参照したい。
しかし、なぜ、田村教授は、発明の技術的効果だけでなく、被疑侵害行為が日本国内を主たる市場としている場合を要件にしようとするのかは、難解である。おそらくは、私見によると、この競争法の効果理論との接続や、発明の効果という特許法に特有な要件を使えない、知的財産法の他の法律への広がりを見込まれたのではないかと想定できる。
さらに一歩進めて、経済的影響の方を原則としてこの最判を解釈できないだろうか。最判は、知的財産権者に経済的な影響を及ぼさないというべき事情がうかがわれない場合、つまり、知的財産権者に経済的な影響があるときに、属地主義の緩和として、我が国の特許権が及ぶ可能性を想定している、との解釈を否定してはいない。
そして、具体的に、発明の効果を国内で奏しているという例示に該当する本件について、サーバーの所在地が我が国の領域外にあっても特段の意味はないとして、我が国の特許権の効力が及ぶと判示した。
行為地が海外であっても「発明の効果を奏する」などの結果発生地が国内であれば、属地主義を緩和して、我が国の知的財産権法の適用を肯定できる。特許法の場合には特許発明の技術的思想が実質的に国内で使われ、その発明の効果が奏されているのであれば、その発明の効果がもたらす我が国内の売上と因果関係のある経済的影響について、生産、使用、利用などの法定行為については、我が国特許権を行使できる。
技術的思想またはその発明の効果が国内で奏されていると評価できるとき、その発明の効果により喚起された需要、つまり市場機会があれば、経済的影響がある。思考のテストとしては、知的財産権法の法定行為(実施、使用、利用など)をともなう製品またはサービスの売上(需要)を想定でき、他者実施なら知的財産権者がその売上に対するライセンス料(実施料、使用料、利用料)を受け取る市場機会がある、と知的財産法の趣旨から正当化できるのであれば、我が国の知的財産権の行使を肯定できる。これが原則で、サーバーが海外にあるなど我が国領域外で行為が行われても、結論は変わらない(最判によると、「特段の意味はない」)。
また、最判は、「生産」該当性を吟味しており、差止請求権と損害賠償請求権を区分していない。羽賀由利子「国際関係」『概説 デジタル/インターネットと著作権法』(弘文堂、2025.10)では、差止請求権と損害賠償請求権を分けた丁寧な分類がなされているが、差止請求権は未来を対象とし、損害賠償請求権が過去を対象とするという、知的財産権の内容として時間的連続性がある点と、差止請求権の実効性は間接強制にもある点と、損害についても逸失利益や法の趣旨に応じた規範的損害概念(田村[2023]第469)である点などから、属地主義の緩和について、できる限り単純なルールとなることが望ましい。この点で、最判が特許発明の実施行為の該当性として整理している点は実務的にも予見可能性が相対的に高く、判りやすい。
最高裁平成23年(受)第1781号平成26年4月24日第一小法廷判決は、民事訴訟法3上の3第8号の不法行為に関する訴えには、差止請求に関する訴えも含むとし、不法行為があった地が日本国内にあるというためには、権利利益を侵害する行為が日本国内で行うおそれがあるか、日本国内で侵害されるおそれがある必要がある旨を説示している。
属地主義の緩和では、差止請求と損害賠償請求を分けず、知的財産法の各権利の法定行為の該当性を検討することで足りるのであれば、そのようなルールなり解釈論が判りやすい。
また、このように解しても、競争法の効果理論と矛盾しない。つまり、特許法に関する上掲最判は、独禁法に関する「ブラウン管最高裁判決」の説示を抽象的にとらえた構図と矛盾しない。コメントシステム最判が「ブラウン管最高裁判決」までを視野に説示したか否かは判らないが、競争法と知的財産法が矛盾しないというのは素晴らしいことであり、参照したとしても、参照しないとしても、我が国の司法が洗練されていることを具体的に示したといえる。立法についても、学説についても、このような隣接分野の既存の知識体系と矛盾のない思考(本能や理性)を期待したい。
この競争法の効果理論は、各国の競争当局の本能的または理性的な行動と、「需要者保護が独禁法の法目的のうち大きな部分を占めている」(白石[2023]第207頁)ことにより維持されており、この点を知的財産法に応用できるのか、国家間の譲り合いなり紛争なりも視野に、次に検討したい。
本能的に避ける
白石忠志教授は、効果理論に関して、各国の競争当局が、違反者の全世界向けの売上高の全額を自国との関係として把握することを「本能的に避けて」(白石[2023]第208頁)自国に所在する需要者への売上に着目したと説明している。自律的に本能的に避けるという行為が法制度を安定させているというのは、大変に素晴らしいことである。
この効果理論に対応する当局の「本能的に避ける」判断による調和は、スーパーパワーの大国の指示でも、国連の多数決でも、安保理のような政治的な結論でも、権威の学説でもなく、人間なり文化なり人類として「自然」に、「素質(ネイチャー)」として現れているようにみえる。もちろん、王の権威でも、神の命令でも、条約の拘束力でもない。愛の力である可能性はあるが、そう説明することは法学の範囲を超えてしまう。
唐突だが、この「本能的に避ける」ことによる法治を洞察するために、柄谷行人の『世界史の構造』(2010)にあるカントへの言及をみてみよう。柄谷は、交換様式が経済社会を決定付けるとして、互酬(部族社会やネーション)A、略奪と再配分(国家)B、商品交換(資本)C、未定のXであるDの4つによるマトリックス(同p.15)で、世界史をおさらいしている。国家論は『帝国の構造』(2014)にさらに詳しい。
柄谷行人『世界史の構造』の引用を、ロールズへの言及から出発する。
ジョン・ロールズは最晩年の仕事である『万民の法』において、国家間の正義を、経済的平等の実現に見ようとした。彼はこれを、一国だけの「正義」を考えた旧著『公正としての正義』に対する自己批判的な発展として書いたのである。しかし、ロールズは依然として、正義を「分配的正義」としてしか考えていない。そのため、一国における「分配的正義」が福祉国家主義に帰着するように、諸国家間における「分配的正義」は、再分配をおこなう体制の強化を要求することになる。それは結局、経済的列強による再分配となり、実質的に、世界帝国ないし帝国主義に帰着するほかない。
しかるに、カントにおける「正義」は分配的正義ではなくて、交換的正義である。それは、経済的格差を再分配によって緩和するのではなく、格差を生み出す交換のシステムを廃棄することによって実現される。いうまでもなく、それは国家内部だけでなく、国家間にも存在しなければならない。つまり、それは、新たな世界システムとしてのみ実現されるのである。だが、いかにしてそれは可能なのか。「力」を軍事力や経済力だけで考えるかぎり、ホップズが考えた道をたどるほかない。
ここでわれわれにヒントを与えるのは、国家以前の、部族連合体の例である。部族連合体はその頂点に王あるいは超越的な首長をもたない。先に私はこれを「国家に抗する社会」としてみた。だが、今これを、諸国家がその上位に主権者をもつことなく、戦争状態を克服するにはどうすればよいのかを考えるヒントとしてみたい。部族連合体を支えているのは、交換様式A、すなわち、互酬原理である。いいかえれば、軍事力や経済力ではなく、贈与の「力」である。それがまた、諸部族の実質的平等・相互独立を保証している。
カントがいう意味での諸国家連邦はむろん、部族連合体とは異なる。前者の基盤には発達したグローバルな世界 = 経済がある。すなわち、交換様式Cの一般化がある。だが、諸国家連邦とは、いわば、その上に交換様式Aを回復することである。(略)
(略)諸国家連邦を新たな世界システムとして形成する原理は、贈与の互酬性である。これはこれまでの「海外援助」と似て非なるものだ。たとえば、このとき贈与されるのは、生産物よりもむしろ、生産のための技術知識(知的所有)である。さらに、相手を威嚇してきた兵器の自発的放棄も、贈与に数えられる。このような贈与は、先進国における資本と国家の基盤を放棄するものである。
だが、それによって無秩序が生じることはない。贈与は軍事力や経済力より強い「力」として働くからだ。普遍的な「法の支配」は、暴力ではなく、贈与の力によって支えられる。「世界共和国」はこのようにして形成される。
- 柄谷行人『世界史の構造 (opens in a new tab)』(岩波現代文庫G323, 2015[原著2010.6])pp.489-491
まず、カントの諸国家連邦は、各国の競争当局と同様、上位機関による支配を受けていない。そこで「本能的に避ける」規律が機能している場合、何らかの贈与と返礼となる交換がなされている可能性がある。威嚇の放棄や、知識の共有も贈与であり、自然に素質として贈与と返礼が繰り返されている可能性がある。
残念ながら、移転価格税制や、国際刑事裁判所(ICC)は、より国家的、権威的で、超越的な首長がいるかのような振る舞いこそ無いにせよ、カント的でなく、ヘーゲル的である。法治なり調和の成果も、ウクライナやガザでは残念ながら限定的であった。
また、生成AIの出現に対して、冷静で、知的で、実効的な提言をしていたのは、アメリカのFTCであった。需要者への注意喚起も正確だった。競争法やその当局は、国家機関ではあるが、国家からも資本からも一定程度自由で、各国の競争当局や関係者がおりなす作品は、部族連合体が貴重な産品を贈与しあうような、不思議な自由と平等がある。例えば、EUとカリフォルニアの間接的な贈与のような対話は、反発もあり、全面的に正しい訳でもないが、地球や社会を良い方向に進めようとする駆動力(ドライバー)となっている。EUとカリフォルニアの上位機関は存在しない。
法がもつ「力」を、神の命令であると説明することは、もはやできない。愛の力であると説明することもできない。それは、カントもそうであった。カントは理性の限界内で説明しようとした(柄谷『帝国の構造』岩波現代文庫G470, p.242)。そのように柄谷行人が解きほぐし解説している。柄谷はカントの「人類の歴史を全体として考察すると、自然がその隠密な計画を遂行する過程とみなすことができる」という発言を引用し、つぎのように述べる。
ここでカントのいう「自然」が、「神」や「摂理」のようなものを意味していることは明らかとみえます。実際、そのように読めるし、また読まれてきました。例えば、カントは平和に関して、人類の善意を期待しなかった。逆に、人類の「非社交的社交性」こそがそれを実現する、と考えたのです。そして、この「非社交的社交性」は、「自然」が人間に与えた「素質(ネイチャー)」だ、と彼はいう。(略)
その例として、彼はまず利己心をあげています。利己心の結果として、諸民族の間の交易が拡大する。そうすると、簡単に戦争することができなくなります。自然は諸民族を分離する。が、同時に、それは≪互いの利己心を通じて諸民族を結合するのであって、実際世界市民法の概念だけでは、暴力や戦争に対して、諸民族の安全は保証されなかったであろう。商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれはやかれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である≫(『永遠平和のために』)。
(略)カントがいう諸国家連邦のプロジェクトが現実化されたのは、第一次世界大戦の結果です。各国に国際連盟の設立を受け入れさせたのは、世界戦争の残酷な現実です。いいかえれば、人間の「非社交的社交性」の露呈です。(略)
- 柄谷行人『帝国の構造 (opens in a new tab)』(岩波現代文庫G470, 2023[原著2014.8])pp.236-237
歴史的に、残念ながら、商業精神だけでは戦争は抑止できなかった。しかし、カントのいう「非社交的社交性」は、戦争の結果、戦争を抑止する国際連合をもたらすような、人類の性質であることは、歴史的に証明されてしまった。国際連合をつくりだしたのは残酷な戦争であった。
「戦争を廃絶する体制を創り出すのは、まさに戦争だ」というカントの認識によれば、対話や贈与の不足による紛争後に、「本能的に避ける」領域が浸透するかのような連邦なり関係を形成することが求められるのではなかろうか。
この白石教授の「本能的に避ける」は、カントであれば、「理性により避ける」と書いた可能性はある。
完全に私見では、超越的な主体なしに、諸国家がユナイテッドに繋がるには、洗練された競争当局のように、本能または理性により他国の領域の取り分を避けるという、贈与や返礼、または譲ることを相互に行うことが、最短で賢明な対応なのだろう。ヘゲモニー国家や、条約や、神の命令や、できれば正義にも依存せずに、私たちが自由と健全な市場を維持し実現していくために、「本能又は理性により自律的に譲る」という贈与と返礼の役割に注目したい。この贈与と返礼は、部族社会からの歴史ある、共同体間の平和裏な交際方法である。日本の江戸時代の参勤交代制度も、諸藩間や幕府との紛争を避ける贈与や返礼として機能していた可能性がある。現代的には、諸国家の知的財産法に関する当局の対話の重要性を示唆しているといえる。
この他者の取り分を「本能的に避ける」ことは、知的財産法の損害賠償論でもみられる。他の権利者の取り分を残すように寄与率を掛けようとするなど、条文の根拠がないのに、他者の取り分を奪うことを本能的に避けようとしがちである。この点、田村教授はその理性と知性で悪戦苦闘しておられる(例えば特許権の寄与率について、田村=清水[2024]第367-370頁、『知的財産権と損害賠償』第444頁、著作権の侵害部分が一部に止まる場合の賠償額について、田村善之『著作権法概説』第2版第337頁)。
こちらの「本能的に避ける」ことは、すべきでない判断と思われるが、人類に根深い何かに基づいているからか、繰り返される論点として多面的に出現し続けている。
国境をまたぐ特許発明の実施行為
本論に戻る。あらためて、国境をまたぐ実施行為について、田村善之=清水紀子『特許法講義 (opens in a new tab)』(弘文堂、2024.4)を参照しよう。
第6章は、知的財産法の国際的側面で、『特許法講義』という題名ではあるが、商標法や著作権法をも含む国際側面が解説されている。属地主義は430頁以下で、パリ条約、著作権法のベルヌ条約、TRIPS協定なども参照しつつ説き起こされている(第431頁)。
コメントシステム(ドワンゴ対FC2事件群)は、「インターネットと属地主義」という枠組みで解説されており、発刊時期との関係で、知財高裁大合議までが扱われている。ネットワーク型システムの「生産」に関する大合議判決の射程について、特許発明の構成要件、特許発明の効果、特許権者の経済的影響の3点とも、日本国内での生産を肯定する方向に作用したと整理し、この3つのいずれかが欠ける際に、属地主義をどこまで緩和されるかが吟味されている(第447頁)。
例えば、クレームドラフティングなり明細書、意見書をどうするかとの関係では、一部でも国内実施がなければ属地主義の緩和を受けられないのであれば、ユーザーが使う端末を発明特定事項に含めることになる。
発明の効果を国内で奏しているかどうかとの要件との関係では、発明の効果をサーバーの効率性と書けば技術的効果は海外で奏され、サーバーの効率性による端末の表示速度の向上と書けば効果は国内で奏される。経済的影響では、サーバーの省エネで低コストとすれば海外が行為地かつ結果発生地で、サーバーの低コストにより国内の利益増加と書けば国内の経済効果になる。
サーバーなりリージョンが国外にあることは日常であるから、このようなクレームドラフティングの悩みも日常であるはずだが、チャット型の生成AIに聞いてみても中長期に有用な回答は得られず、従って、対応できるクレームも記載してもらえないから、人間が考えるべきだろう。
田村=清水『特許法講義』は、次のように検討している。
ここで私の考え方をお話ししておくと、以下のように準拠法を選択していく(あるいは、実定法としての属地主義の外延を画していく)べきだと考えています。 大合議は、構成要件を重視しているのですが、インターネットにあっては送信地が意味を持たない場合が多いため、特許発明の構成要件が国内と国外のどちらで遂行されているのかということに重きをおくべきではないように思われます。 これに対して、特許発明にかかる技術的思想の保護を全うするためには、特許発明の効果が発現している地を重視すべきでしょう。(略)
- 田村=清水[2024.4]第447-448頁
最判を受けた結論(田村[2025.8])では、本書(『特許法講義』)とほぼ同旨で、より解像度が高まった説示がなされている。
日本の特許法を適用できるとする要件として、特許発明の発明特定事項(構成要件)の1つ以上が国内で実施されていることが必要なのかどうかは、特許制度小委員会でも議論されている。
また、発明の効果が国内で奏されるかどうかで決せられる場合、効果を明示しない指向性のクレーム・ドラフティングでは、このネットワーク型システムの国内侵害を導きにくくなる。
そして、知財高裁大合議が、事例が少ない状態で一般論を判示する傾向について、田村教授は説示を増やし、このコメントシステム最判が事例判決であったことともあいまって、個別具体の事例をともなわない文言の理解の難しさを強調しておられる。つまり、事例が蓄積されてない状態での一般論は予見可能性を高めるどころか将来の判決の判断の自由度を低下させるといった趣旨のことを、知財高裁への期待として述べている。
これは、知財高裁大合議のみならず、ルーティーンワークであるかのような知的財産法の改正にも妥当すると思われる。特に、田村教授は、コメントシステム最判の判例評釈(田村[2025.8])の結びに代えてのなかで、次のように述べている。
拙速な立法により、裁判例の進展を妨げることは避けるべきなのではなかろうか。
- 田村[2025.8]第25頁
つまり、田村教授は、属地主義に関する確認的な立法に反対しておられる。
立法論や考え方の整理
私は、田村教授の例外についての考え方が、競争法の効果理論の考え方との接続性がある点を重視し、しかし、このような視座が広がるまでには一定程度、時間が必要であると想定される現実から、現時点での立法に反対している。この立法反対論を、2025年8月の北海道大学サマーセミナー2025 (opens in a new tab)参加時からブログ記事にしたいと思いつつ、今日までになってしまった。そのあいだに、田村教授の考え方が浸透し、良い化学反応もあったようで、立法の可能性はずいぶんとなくなっていた。
産業構造審議会知的財産分科会特許制度小委員会 第55回(令和7年11月28日)
配布資料 (opens in a new tab)
資料1 特許制度に関する検討課題について (opens in a new tab)
この資料1では、特許法改正の提案ではなく、「特許庁にて現行法を前提とした一定の考え方の整理を作成・公表することが考えられるのではないか」とされている。
考え方の整理では、競争法の効果理論では国内の一部実施を求めていないことへの配慮なり洞察をお願いしたい。
また、田村善之説[2025.8]のうち、発明の効果でみるが、効果が国内で発現していなくても日本国内(に所在する需要者)を主たる市場としている場合に、経済的影響があるとして、日本特許法の適用を認めるべき例外があるという整理は、競争法も扱う裁判官にとっておそらくは判りやすい効果理論と通底するものである。また、発明の効果という特許法に特有な事象を使えない他の知的財産法に応用していく際にも有用と思われる。特に、商標法においても、白石忠志教授のいう「自国所在需要者」説が考え方の整理として妥当するのではなかろうか。
属地主義の緩和に関する意見
パブリック・コメントに対応する形式で、属地主義の緩和に関する特許庁「考え方」への意見をまとめておく。
意見1 管轄法や、属地主義の緩和を検討する際には、知的財産権に係る客体についての国内の市場と売上を想定し、知的財産権のライセンス料を知的財産権者に配分することが妥当かどうかを検討すべきである。
理由1 市場、売上やライセンス料(実施料、使用料、利用料等)を具体的に想定できる考え方とすべきである。
ライセンス料は、知的財産権者に法により与えられた市場機会の利用であるが、事後的に見て相当なライセンス料(特許法102条3項、商標法38条3項、著作権法114条3項、不正競争防止法5条3項各号)は、侵害プレミアムも加算される損害であって、無断で法定行為がなされた侵害による逸失利益を超えており、知的財産法の趣旨による規範的な損害である(田村=清水[2024.4]特許法講義第371頁、田村[2023]知的財産と損害賠償第469-470、454-460頁)。
知的財産法は法定行為の独占により、例えば特許権であれば「特許発明の実施に対する市場の需要をどのように利用するかを決定する機会(=「市場機会」)を特許権者に排他的に与えるところに」特許法の趣旨があるのであるから(田村[2023]第469頁)、この事後的に見て相当なライセンス料を吟味することは、知的財産法の趣旨を吟味するプロセスである。
そして、「特許権の侵害は、有体物の毀損という形ではなくて、市場を媒介として損害が発生するので、可視的に把握することができない」(田村[2023]第425頁)のであるから、特許請求の範囲の発明特定事項の文言をみつつも、市場における製品またはサービス(知的財産権に係る客体)の需要(権利者または侵害者の売上)をみるべきである。
市場、売上やライセンス料がどうなるのか、法の趣旨として妥当なのかという深さまで想定できる考え方でなければ、当事者に納得感をもたらさない。煩雑なソフトローが増えて知財活動の生産性を悪化させてしまうだけで当事者に納得感をもたらさない「考え方」は不要である。
意見2 属地主義の緩和が可能かどうかの吟味に際して、請求項の記載そのものではなく、技術的思想を把握して判断すべきである。
理由2 特許法は、「請求項に係る発明」の「係る」と「記載」を使い分けている。特許法39条は「係る発明」であり、技術的思想としての同一性をみる。特許法36条5項が「一の請求項に係る発明と他の請求項に係る発明とが同一である記載となることを妨げない」というとき、「係る発明」は技術的思想としての同一性であり、技術的思想として同一であれば、物、方法、生産方法など異なるカテゴリーの請求項を、1つの特許出願に記載することができる。
そして、請求項に記載される端末やサーバーという文字は、「特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記載しなければならない」(特許法36条5項)との要請に応じて「記載」されたものであり、記載された端末やサーバーそのものは物である。請求項に「係る発明」を認定するためには、その技術的思想の全体から、記載された端末やサーバーがどのような技術的手段であるかを把握すべきである。
つまり、属地主義の緩和を検討するに際して、競争法の効果理論の適用を吟味したり、発明の効果が国内で奏されているかを検討したり、経済的影響の有無を確認したりする際に想定すべきは「端末」や「サーバー」に関する請求項の記載(発明特定事項)そのものではなく、発明特定事項のすべてから特定される技術的思想の創作である。
この点、上掲最判は次のように述べ、十分に技術的思想を認定したと解される。
(発明である)システムを構築するための行為やそれによって構築されるシステムを全体としてみて、当該行為が実質的に我が国の領域内における「生産」に当たると評価されるときは、これに我が国の特許権の効力が及ぶと解することを妨げる理由はないというべきである。
- コメントシステム第二事件上告審、令和7年3月3日
また、田村教授は、次のように「技術的思想」で吟味すべきであることを直接的に明言している。
被疑侵害行為において特許発明にかかる技術的思想の効果が日本国内で発言されているのであれば、原則として、日本の特許法を適用すべきであると考える。
特許法が特許発明を市場において利用する機会を排他的に特許権者に決定させる仕組みを採用した究極の趣旨は、技術的思想の創作に対するフリー・ライドを過度に放任していた場合には創作に対する過少投資を招来しかねないというところにあるのだから、技術的思想がどこで享受されているのかということが、特許権者に排他権を保障すべき地を決定するに当たって致命的な事項となると解されるからである。そして、本件特許発明のように、表示の仕方等国内のユーザの端末装置が受信した時点で特許発明の技術的特徴を組成する効果が発現する場合には、端末装置や受信がクレイムの構成要素に含められていないとしても、特許発明にかかる技術的思想が国内で実現されている以上、日本の特許権侵害の責任を論じるべきである。
- 田村[2025.8]第23頁
意見3 一体的な技術的思想で判断し、一部の発明特定事項の国内実施を求めない「考え方」とすることが望ましい。
理由3 白石教授は、効果理論を採用したブラウン管最高裁判決について、「「国外で合意されたカルテルであっても」という文言があり、この点を強調する紹介が少なくない。しかし、第1に、合意の場所が国内か国外にかかわらず「効果」があれば自国独禁法違反となることは、独禁法分野では既に長年にわたり国際的常識として定着していた(略)」と説示している(白石[2023]第206頁注159)。
田村教授は、「システム発明ではあるもののユーザの端末装置が省かれる形のクレイムであったり、方法のクレイムでユーザの受信行為が含まれないクレイムであったりしたからといって、特許発明にかかる技術的思想に変わりはなく、その技術的特徴を形成する効果を日本国内のユーザが享受していることに変わりがない以上、日本の特許権侵害に問えないとする理由はないように思われる」(田村[2025]第24頁)と説示し、一部の国内実施を要件にすべきでないと説示する。
上掲最判は、複数の端末装置を発明特定事項として記載した特許6526304号にあわせて、「本件システムの一部であるコメント配信用サーバは我が国の領域外に所在するものである。」と認定しつつ「効果が奏されることとの関係において、前記サーバの所在地が我が国の領域外にあることに特段の意味はないといえる」と説示する。この文章表現は、白石教授の説示と共通性があり、サーバが自国の領域外にあることは必須ではなく、検討の要素ではないという位置づけであると解することができる。
少なくとも、この最判から、一部の発明特定事項の国内実施が必要であると読み取ることはできない。また、競争法の効果理論からしても、重要なのは経済的影響なり結果なりが国内で生じているか否かである。
意見4 属地主義を緩和しつつ、国際的調和を維持するために、国内での経済的影響、特に知的財産権者や被疑侵害者の国内での売上高なりその市場機会を理性的な一つの外枠とし、他国の法律で扱うべき範囲を我が国の法律で扱うことを「本能的または理性的に避ける」べきである。
理由4 属地主義の緩和は、国際的常識なり、グローバルなミニマム・スタンダードを想定しつつ、相互に譲り合いつつ、知識を交換できるような未来像への漸進的進化が望ましい。つまり、属地主義を緩和することによる弊害は、グローバルに知見を共有し、奪い合うのではなく譲り合うような、理性なり本能による、貪欲さについての軍縮の積み重ねが必要と思われる。知的財産法は条約が多いが、条約も一つのスタンダードとしつつ、国際的了解を積み重ねたい。
国際的了解に反した場合にどうするかは、平和的に対話により解決していくことが望まれる。例えば、白石[2023第210頁]には、平成4年の米国司法省の方針が国際的了解から逸脱しており、日本の公正取引委員会が反論し、米国司法省の考え方が沙汰止みとなった事例が紹介されている。
このような国際的了解を積み重ねていく際に、司法や立法よりも行政当局による「考え方」の公開と対話が有用となる可能性がある。
また、知的財産法は、競争ほどには需要者保護を重視していないが、知的財産権は権利者に市場機会を付与するもので、市場における需要の代替性は知的財産法の解釈を決定付けており、また、知的財産権の損害は市場を解して顕在化するものであるから、競争法と同様に、知的財産法は、自国に所在する需要者による需要という市場を重視することができ、競争法の効果理論の考え方は知的財産法の解釈に自然に適用できると考える。
意見5 属地主義の緩和に際しては、経済的影響の有無を原則として評価し、個別の知的財産法の解釈では各法の趣旨と各法の客体(発明、商標、著作物等)の定義や解釈と市場機会との関係で経済的影響の例示を整理すべきである。
特許法では、技術的思想がもたらす発明の効果や課題解決が国内で奏されていることは、属地主義を緩和すべき経済的影響の例示と解される(上掲最判参照)。
商標法では、商標的使用による商業的効果の発生する国の商標法が適用されるべきであり(WIPOインターネット上の商標及びその他の標識に係る工業所有権の保護に関する共同勧告、田村=清水[2024.4]第449頁)、国内で商業的効果が発生していることは、商標法における経済的影響の例示となる。日本に所在する需要者に対して顧客吸引力を発揮したり、品質を保証したりする事実を認定できる場合も、属地主義を緩和するための例示となり得る。
商標については、田村善之「インターネット上の商標の使用についての日本の商標権侵害を否定した事例(Sushi Zanmai事件)」(TKCローライブラリー 新・判例解説Watch◆知的財産法No.180 (opens in a new tab), 2025.10.10)が参考となる。
著作権では、田村教授は「文化の発展を目的としている著作権法では、思想又は感情の創作的表現の享受が肝要であるから、どの地で享受されているのか、つまり受信地の法を適用すべきだということになると考えます」(田村=清水[2024.4]451頁)と説示する。国内で、思想又は感情の創作的表現が享受されたことは、著作権法における経済的影響の例示となる。
世界で同時多発的に侵害が生じるユビキタス侵害(羽賀[2025.10]第448頁)については、競争法の効果理論のように、自国に所在する需要者による需要の範囲で、我が国の知的財産法を適用できるとしつつ、理性または本能による各国の譲り合いや国際的了解の積み重ねを期待したい。
私見では、自国の需要者による需要(自国の売上)の範囲で差止請求なり損害賠償請求をしていれば、最密接関係地などに限定せず、同時多発的に各国で侵害を認定できる。OPECによるカルテルに各国の競争当局が自由に対応しつつ「本能的または理性的に避ける」ために、自国所在需要者向けの売上の範囲としたように、知的財産法の属地主義の緩和でも、自国所在需要者に限定するように諸国家で譲り合い、差止請求権なり損害賠償請求権の行使を認めれば良い。
その結果、各国の知的財産権の存在によりインターネットを介した提供ができなくなる場合、提供者が国や言語でのブロッキングをすれば良い。国際的に、ブロッキングを迂回したアクセスについてまで責任を追わないとすることが考えられる(田村=清水[2024.4]450頁)。
生成AIシステムを構築するための学習(トレーニング)については、「条理により利用行為地法の適用が妥当と考えるが、議論の精緻化が必要」という意見がある(羽賀[2025.10]第448頁)。この点、学習なり追加学習による生成AIシステムの利用を案内するWebページが日本語であるなど、日本での経済的影響が認められる場合、学習が我が国の領域内で行われない場合であっても、我が国の著作権法を適用できると考える。特に、サーバーが我が国の領域外で、創作的表現の享受が日本国内の場合、出力段階で類似の範囲として複製権・翻案権侵害を導けるのに、学習についてのみ利用行為地法を適用して非侵害とすることは論理的でない。
また、高石秀樹弁護士から、属地主義の緩和について、ドメイン、例えば、東京地判令和5年(ワ)70022との関係も気になるとのコメントをいただいた。意見から一旦離れて、本件の分析をする。
本件は、カリフォルニアを拠点とする外国法人のWebサイトの表示が原告の日本商標権を侵害するとして、日本で事業を営む原告が、日本の裁判所に訴えを提起した事案である。商標権の侵害については、被告が海外から提供しているWebサービスが、日本からアクセスできるとしても、英語のみで、米ドルでの価格表示で円の価格は表示されておらず、問い合わせ先は米国で日本の住所も電話番号も記載されていないという事実認定のもとで、「日本の需要者を対象としたものであるということはできず、これによって、原告の権利利益が日本国内で侵害され、又は侵害されるおそれがあり、また、原告の権利利益について日本国内で損害が生じたということはできない」として、日本の裁判所は管轄権を有しないと判示した。
本稿の立場では、本件は、日本からWebサイトにアクセスできるとしても、日本に需要者が所在しないから、商標の使用が日本国内で行われておらず、属地主義を緩和して日本商標法を適用すべき対象とはならない、と判断できる事例である。原告が使用しており未使用ではない登録商標について、被告は使用許諾なしに使用をしているため、規範的損害として使用料を損害額とすることは考えられるが、被告のWebサービスが日本の需要者に向けられているという証拠に乏しい本件で、管轄権として「本能的または理性的」に使用料の議論が避けられた可能性はある。
さらに、本件では、被告である外国法人が、「.jp」のドメインを登録しており、原告はこのドメインの保有や使用の禁止を求めた。「.jp」は日本を表す国別ドメイン名であり、被告のドメイン(legalforce.jp)の使用は、原告の「LegalForce」(第6074525号[登録日2018年8月24日]商標権目録(1)、登録6502847[登録日2022年1月21日]商標権目録(2))の商標を不正競争防止法2条1項19号の特定商品等表示として使用した可能性があるとして、日本の裁判所の管轄権を認めた。国別ドメインは、その国を対象としており、登録機関も日本に所在するため、理性又は本能によらなくとも、日本の裁判管轄権を肯定できる。この判断では、属地主義の緩和に関する検討は不要である。
結論として、不正の目的はないとして請求は棄却されている。
「.jp」で英語で海外の需要者に向けられたWebサービスを展開する場合、日本法を適用しない方向での属地主義の例外が議論される可能性はあるが、本件では、「legalforce.jp」へのアクセスは即時に本体のサイトに転送されており、ドメインで表示される内容の吟味はなされていない。
また、「.jp」で、英語でWebサービスを展開し、例えば米ドルで決済できる場合、本稿の立場では、米国特許権や商標権の侵害となり得る。製品であれば販売国の特許権、商標権の侵害をしないように調査することは当然で、新たなサーチ負担が生じているとはいえないだろう。
意見6 ドメインは登録制度であるため、登録制度のある特許法や商標法の考え方が応用されていく可能性があるため、特許庁が特許法等の「考え方」を整理する場合、ドメインなどについても、関連省庁等との情報共有がなされていくことを期待する。
意見7 特許法など知的財産法の属地主義の緩和に関する考え方は、表現の自由や通信の秘密その他の憲法的価値観や、我が国の情報秩序に関係する規律に適用しないような注記をしておくことが考えられる。
理由7 発信者情報開示については、諸説あるが(羽賀[2025.10]450-452頁)、発信者のプライバシー、表現の自由や通信の秘密等の利益とも関係し、我が国の情報秩序の保持という性質もあるとして、純粋な民事上の権利ではないと位置づけて、法廷地法である日本法の範囲に含まれるという見解がある(羽賀[2025.10]451頁)。この羽賀教授の見解は柔軟で判りやすい。
発信者情報開示請求や、生成AIシステムの透明性を事業者に求める規律は、憲法的価値感や情報秩序に関係するもので、純粋な民事上の権利や、知的財産法のうち登録や処分などの行政法の範囲とは異なる。属地主義の緩和に関する「考え方」が過度に広い分野に応用されないように、注記をしておけると良い。
3. 複数主体による実施と属地主義(クレームドラフティング)
2025年の北海道大学サマーセミナーでは、8月25日の午後、田村教授は「複数主体の分担による特許権侵害」を講義なさった。製砂機のハンマー、一太郎、コメント配信システムなどが扱われていた。『特許法講義』では間接侵害の項目の中で、関連として「複数主体による実施」(田村=清水[2024.4]第204-207頁)に解説があり、田村善之=時井真=酒迎明洋『プラクティス知的財産法I特許法』(第2版、信山社、2024.6)では第59-63頁にクレームドラフティングとの関係も含めて論じられている。
物の発明で、A x B x C (田村教授は+だが私は発明特定事項の繋がりによる作用を重視しxを使用している)のとき、A x Bの部分を事業者が、Cをユーザーが追加してA x B x Cを完成させるとしよう。このとき、ユーザーは直接侵害者ではあるが、多くは、A x Bの事業者を提訴したいであろう。ユーザーを事業者の手足なり道具とみることができれば、侵害をさせたとして事業者の特許権侵害を導ける(道具理論、田村=清水[2024.4]第205-206頁では電着画像事件を参照、田村=時井=酒迎[2024.6]第59-60頁ではコメント配信システムもこの類型に位置づけ)。
クレームドラフティングでは、ユーザーが追加するCについて、発明特定事項にしなければ、事業者の侵害を直接的に導ける。しかし、属地主義との関係で、発明特定事項の一部でも国内実施を求めるのであれば、Cのユーザーが使う部分を発明特定事項にいれておくと安全である。これは両立しないが、より重要なのは属地主義への対応だろうか、ということが、北大サマーセミナーの田村教授の講義中に示された。飛行機と鉄道に乗り札幌へ行き、連泊で講義を受けることで得られる知的な刺激は、確実にある。この講義では、サブコンビネーション型が使えるかもしれないという岡本正紀先生の論考について紹介があった。
ネットワーク型発明について、2025年の後半に私が考えついた一つの解は、送信機と受信機型である。送信機はサーバー設置国、受信機は市場国であり、受信機の効果なり課題解決なりが、国内法適用を導ける。同時に、ユーザーが使う端末は送信機のクレームには含まれない。基本的に、ソフトウエア関連発明では、人間がすることをいかに発明特定事項にせず、情報処理の部分を請求項に記載するか、ということが美学であり、端末を発明特定事項に含めるのは美しくない。しかし、送信機、受信機型で記載しようということであれば、逆に、端末のブラウザのJavaScriptでほとんど実施してしまうタイプと、サーバーサイドで複雑にデータベースも駆動して実施してしまうタイプと、APIアクセスが多くて良く判らないタイプも、それぞれ整理できてしまうだろう。
送信機クレームはA x Bでの完結を目指し、クレーム中でCに言及しても構成要件にしないことで、複数当事者の実施を想定しつつ上記事業者の直接侵害を導く。
受信機クレームは、A x B x Cで、発明の効果を十分にユーザーなり需要者の市場側で奏することの技術開示(作用効果)を目指す。受信方法も同様で、APIアクセスなりサーバーサイドなり生成AI利用なりが複雑に関連しても、とにかく、端末で確認できる情報処理を特定し、それにより発明の効果が奏されている、というクレームドラフティングと技術開示を目指す。送信機と受信機のコンビネーション型で、属地主義対応と、複数当事者対応の両方を実現できる。発明の効果による限定を好まない主体も、属地主義について競争法の効果理論や田村説(例外)を援用すれば良いだろう。
願わくば、このような送信方法・受信方法の両方の請求項を含む特許出願の単一性について、形式的な違反が指摘されないことが望まれる。
北大サマーセミナーや、田村=清水『特許法講義』[2024.4]は、このような思索の基盤となる。今後も学びを続けていきたい。
4. 需要の代替性
知的財産法の趣旨と市場の役割
田村善之『知的財産権と損害賠償』(第3版、弘文堂、2023)から、市場、市場機会、需要の代替性に関する部分を読んでいこう。
[1] 市場機会について
利益の還流にのみ着目して、我が国の特許法の採用したシステムを捉えておこう。市場においては、特許発明の実施に対して需要が存在する。この需要を特許発明を実施することにより満足せしめる機会を、便宜上、市場機会と呼ぶことにしよう。特許法により第三者が特許権者の許諾なく行として特許発明を実施する行為が特許権の侵害行為とされているから、特許権者は、市場機会の利用により得ることが見込まれる利益を、いかなる利用態様により自己に還元させるかを排他的に決定することができることになる。特許権者は、自己の特許発明を自ら実施するか、あるいは、他人に実施許諾を与えて対価を得るか等、利用形態を自ら選択して、市場機会を利用する可能性を有していることになる。
- 田村[2023]第213頁、初版1993年、初出1991年
[2] 特許権侵害と市場
特許権侵害による逸失利益は市場を介して発生するだけに、その正確な把握は困難である。
- 田村[2023]第339頁、初出2021年
特許権の侵害は、有体物の毀損という形ではなくて、市場を媒介として損害が発生するので、可視的に把握することができない。
- 田村[2023]第425頁、初出2021年
[3] 特許法102条1項「侵害行為がなければ販売することができた物」
逸失利益の推定なり計算を行う際、特許権者の利益は、特許発明の実施品からであることを要求しているか否かについて、条文上、田村説の採用により、特許品であるとは定められておらず「侵害行為がなければ販売することができた物」である。これは、需要の代替性の範囲である。
特許権者が製造販売している製品が特許発明の実施品でなかったとしても、侵害製品と市場で競合していることはありうるのであって、かりに市場で競合しているのであれば、侵害がなかったとすれば侵害製品の需要のいくばかは特許権者の製品に流れこむと思われる。特許権者をして侵害なかりせば得べかりし財産状態に戻してやるためには、こうした侵害なかりせば得べかりし利益、すなわち、逸失利益の賠償を認めなければならない。
- 田村[2023]第441頁、初出2021年
[4] 相当実施料と規範的損害
田村教授は、相当実施料額の賠償は、逸失利益ではなく、特許法の趣旨による規範的な損害であると説示する。改めて引用しよう。
特許法が特許権を与える趣旨は、発明とその公開に対するインセンティヴを付与するため、特許発明の実施に対し排他権を設定することで、特許発明の実施に対する市場の需要をどのように利用するかを決定する機会(=「市場機会」)を特許権者に排他的に与えるところにあると解される。これに対して、特許権の侵害行為は、特許法が特許権者に付与した市場機会を侵奪する行為であり、特許法の趣旨に鑑みると、この機会の喪失(=「市場機会の喪失」)が規範的な損害として観念されることになる。 (略)第一に、侵害行為があれば、必ず排他的な利用機会は奪われているのであるから、逸失利益の有無にかかわらず、常に102条3項の損害賠償を肯定すべきであるということである。第二に(略)
- 田村[2023]第469頁、初出2021年
私はこの『知的財産権と損害賠償』の初版を弁理士試験の受験中に読むという無謀なことをしていた。限界利益説を中山信弘名誉教授が自著で解説していた内容も印象深かった。市場、市場機会や利益(損害)との関係を意識しながら知的財産や知的財産権と接することができているのは、田村善之先生の研究成果のおかげである。本書の独学は旅のようで、楽しさばかりではないが、他分野を歩き、対話をしていく際の自分自身の基盤をつくることができる。知財の人が、経営企画、財務、IR、サステナビリティ、統合報告、研究管理、人事などと接点を持ち、事業の価値創造のために貢献するために、知っておくべきことは知的財産権の損害賠償論である。
以下、知的財産法と競争法を行き来しつつ、需要の代替性の概念が知的財産法で実質的にどのように使われているか、使われるべきかを簡単に説明する。
需要者と市場
競争法と同様、B2Bも含めて需要者と考えよう。すると、発明の効果を奏するのも、意匠の美を感じるのも、出所表示や品質保証機能を利点を得るのも、不正競争から守られるのも、ノウハウの効用を得るのも、創作的表現の本質的特徴を直接感得するのも、需要者である。
知的財産の受益者は需要者であり、需要者は直接・間接に対価を支払っている。市場において、需要者が対価を支払っているのであれば、知的財産が機能した可能性があり、そこに市場機会が存在していたといえる。そして、知的財産権では「侵害行為が市場を介在して行われる」(田村=清水[2024.4]第346頁)のであり、特許明細書や商標登録証をみていても、侵害の有無や損害額は判らない。つまり、損害の元となる知的財産や知的財産権による利益は、上述のように、市場を介在して生まれる。
知的財産権による利益の源泉は、知的財産の法定実施行為・法定利用行為に対して、商品・サービスの市場における価格を通じて需要者が支払う対価である。
需要者の視点は、競争法や知的財産法の解釈の根源である。例えば、競争法の市場画定では、需要者が選ぶ供給者の範囲が、一つの市場である(白石[2023]第55以下)。知財では、上述のように、国境をまたがる実施行為について我が国の特許法を適用できるかどうかは、国内の需要者が発明の効果を奏しているかどうか、また、国内の需要者(による市場)にむけた事業かどうかが判断基準になる。
需要の代替性と競争法
需要の代替性は、競争法では、市場の画定に際して検討される。「商品役務αを選択肢とする需要者が商品役務βをも選択肢とできる」かどうかが、需要の代替性とされている(白石[2023]第68頁)。αとβに需要の代替性があれば、「αにβを加えた市場が成立する」。需要の代替性の認定方法について、白石[2023]は、極めて誠実に、次のように説示する。
需要の代替性の認定は、どのようにして行うか。結論としては、需要者がどう受け止めるかに関して、公取委や裁判所が、ある程度の資料を集めつつ、それに立脚して、自らの良識に従って行う、ということに尽きる。 需要の代替性はSSNIPテストによって認定するのである、などと言われることが多いが、SSNIPテストは、需要者からみて選択肢となる供給者の範囲はどのようになるかを認定する方法の1つであり、唯一の方法ではない。
- 白石[2023]第71頁
白石教授はこのように述べ、全ての供給者が同時に5%の値上げ(SSNIP)を行ったと仮定した場合に、供給者等の利益が減少しないならば、需要者が他に選択肢を持っていないと考えて、市場を画定する方法に対して、現実的な疑問を指摘しておられる。白石教授は、デジタルプラットフォームの隆盛により無料の商品役務が増加していることに対する新たなテストを含め、市場画定の基本原理ではないと教えている(同71-73頁)。
競争法では、この需要の代替性は、需要者の選択の指向性から供給者の範囲を定めることで、商品役務と供給者で特定できる市場を画定するものであった。
これを前提に、田村教授は、需要の代替性の有無を、知的財産の権利範囲の画定に用いている。つまり、知的財産権の客観的範囲は、市場画定と表裏であり、その起点は需要の代替性である。
需要の代替性と知的財産法
[1]特許法102条1項「侵害の行為がなければ販売することができた物」
この物は、上述のように、特許発明の実施品である必要がない(田村=清水[2024.4]第352-354頁)。市場において競合関係にあり、代替品であれば良い。つまり、侵害品と、「販売することができた物」について、需要の代替性があり、需要者が両者を選択肢とする市場を形成しているかどうかが102条1項が適用できるかどうかの判断基準の一つとなる。
[2]著作権法の類似性(創作的表現の再現)
田村善之教授は、著作権(翻案権)が及ぶ客観的範囲、つまり類似性の範囲は、創作的表現の共通性の有無であるとし、次のように説示する。
創作的表現の共通性の具体的な判断手法を考えていくと、まず、創作的表現の共通性の外延を画する際には、需要者にとっての代替可能性が重要となる。需要者にとって代替可能性がないのであれば、著作権者の著作権の利用の仕方に与える影響は極めて少なく、逆に、後続の創作インセンティブを提供するためには、代替可能性がないところまで保護を及ぼす必要はないからである。他方、アイデアと表現の区別は、利用する自由として後発の創作の自由を確保するための要件である。そこで、創作的表現の共通性あるいは代替可能性の基準によって保護の外延が決まったとしても、その中で似ざるをえないようなところは保護から外すという趣旨で運用することになる。
- 田村善之「著作権の保護範囲」『知財とパブリック・ドメイン 第2巻 著作権法篇 (opens in a new tab)』(勁草書房、2023.2)第179頁
このように、著作権法の客観的な保護範囲について、その最大の外側(外延)を需要の代替性の有無で定めようとしている。公知技術除外や、自由な技術水準の抗弁のように、外延に含まれていても、アイデアと目される部分、または、後発の創作の自由を確保すべき部分は、権利範囲から除かれる。この除き方は、例えば、ありふれた表現は創作的表現ではない、という整理もできるだろう。いずれにせよ、需要者の代替性だけで侵害かどうか定まることはないが、需要の代替性は範囲の画定に役立つ。
[3]著作権法30条の4
享受目的が認められる場合、複製権や翻案権は制限されない。原告著作物の原告等による利用行為と、30条の4で吟味される利用行為との間で、需要の代替性がある場合、享受目的が無いと論証することは難しい。
非享受利用であるというためには、需要の代替性がないことが求められる。つまり、競争法の市場画定の手法を用いて、著作物と利用行為が同一の市場に画定される場合、享受目的が無いと論証することは難しい。
実際、生成・出力段階で侵害の場合、需要の代替性があるために類似性の外延に含まれており、需要の代替性があるから、享受目的も肯定されると整理することもできる。
また、著作権者の利益を不当に害するかどうかの吟味に際して、原告等の利用と制限要望者の利用とで需要の代替性がある場合、原告の利益を不当に害すると考えることもできる。このような整理は、フェア・ユースの第4要件と同様の論理構成となるのではなかろうか。
需要の代替性は、権利範囲、損害額を認める範囲、権利制限の範囲などを結びつける重要概念として、さらに注目されるべきである。特に、著作権法30条の4で「潜在的販路」など不必要に詳細な要件を持ち出すのではなく、需要の代替性なり、著作物の潜在的利用または価値を検討すべきである。
[4]著作権法30条の4のオーバーライド契約
さらに、これから、生成AIの学習に対する対価市場がグローバルに形成されていくだろう。
30条の4のような制限規定を上書きする個別の契約は有効で、当事者間を拘束し、違反は債務不履行となる。しかし、このオーバーライド契約の違反によって著作権侵害が導かれることはない。とはいえ、著作権者や翻案権者による著作権・翻案権の利用許諾として、学習に対する対価が支払われることが一般的となれば、それは、著作権者の市場機会となり、著作権侵害を導く。著作権の侵害は、市場を介してなされるのであるから、市場を観察し、需要の代替性を吟味しなければ、尊敬される妥当な結論は導けない。
例えば、イラストや写真では、ストックサイトが、データベースとしてではなく、個別に、人間の利用があれば支払い、生成AIの学習の許諾に対しても支払っており、著作者にとっての新たな市場機会が自然に発生している。
学習するコンテンツの種別とおなじ種別のものを生成AI利用により出力するために学習する場合、情報解析目的とはいえず、著作物の新たな利用態様であろう。この享受目的か非享受目的か決定できない目的の学習に関する契約に際して、著作権を許諾する、または、著作権を行使しない、という条項を含めない契約とすることは、生成AIシステムを開発する側にとって、リスクが大きすぎる。つまり、学習の対価市場が形成されるにつれて、著作権の許諾対象が、契約書に明記される形で、事実上、グローバルに広がっていく。
2025年の潜在拡散モデルその他の画像・動画を生成する生成AIは、学習したイラストや写真と類似する画像の出力を完全に禁止することは技術的に不可能で、類似範囲が出力されるかどうかは確率によるから、同じ種類のコンテンツの学習は、享受目的があり、すると、権利制限されない。この無許諾の学習は普通に権利侵害となるだろう。
学習したコンテンツと類似性の範囲の出力を完全に禁止できる生成AIシステムが仮に開発されたとして、そのタイプの生成AIシステムが学習するための対価は、著作権法が想定する市場機会であるかどうか、吟味が必要となる。この完全禁止タイプの学習は、学習したコンテンツの創作的表現を利用するが、享受しない。
この学習への対価支払は、個別契約として有効ではあるが、この対価は、著作権法が想定する市場機会ではなく、契約に反して支払わずに学習することが、著作権侵害とはならないという考え方は有り得る。例えば、前田健教授は、設定の事例はデータ解析という完全に非享受目的ではあるが、権利者が学習のライセンスをして対価を得ていても「それは事実上の利益であって著作権法上保護される利益ではないから、(30条の4の)ただし書き適用の根拠にはならないと考えられる」と説示している(前田健「柔軟な権利制限規定とその関連規定」『概説 デジタル/インターネットと著作権法』(弘文堂、2025.10)第316頁、同書の考え方として)
本稿では、市場における代替性に注目している。それは、完全禁止タイプの生成AIシステムにとって、その学習に代替する手段が何で、その代替手段の費用がいくらなのかである。現時点でその代替先を想定することはできないが、著作物がその代替先と同じ市場に画定されるのなら、比較をしたうえで、著作権が想定する市場機会と評価できるのかどうか、検討すべきだろう。そのような事態について事前に決するような法学ではなく、フェア・ユースの4要件のような、考え方なり参照先なり検討のプロセスを法学として定めておくことが、競争環境を維持し、創作の自由を実現するのではないだろうか。
本稿の引用
鈴木健治「国境をまたぐ競争法と知的財産法をつなぐ需要の代替性〜効果理論、属地主義、複数当事者、非実施品、類似性、著30条の4〜」(株式会社知的利益ブログ、2025.12)
https://www.intprofy.co.jp/blogs/blog20251223 (opens in a new tab)
(参考 更新履歴[GitHubを閲覧できる人向け])
https://github.com/kvaluation/intprofy-website/commits/main/pages/blogs/blog20251223.mdx (opens in a new tab)